新
新山さん (8z9r6hv4)2024/3/25 06:19 (No.99928)削除EP Waiting for the past to become time-barred.
深い深い海の底で生まれた時から、家族に言われるがまま、信仰すべきものを信じ。
あらゆる学問を学ぶことや人助け以外には、やり甲斐や意味を見出だせなかった。
同い年の人間達は遊びや恋というものに耽っているのに、そちらにはあまり興味が向かなくて。
故郷の深海にて、起こしてしまった幼少期のあの日以降、眼を、イシを隠す様になって。
それでも人には好かれていた、けれども、友と呼べる存在は居らず。
その石蛇の人魚の少年は、ただ空っぽな日々を過ごしていた。
家の都合で深海から陸へ移住した、そこは海沿いにある都市、今では故郷と呼べる場所。
そこで人魚は一人の少年と出会う。
近所にある漁港にて、手伝いをしていた時だった。
少し離れた海岸から、ギターの音色と歌声が聴こえてきたのです。
歌や音楽というものは、この人魚の知る限りでは、信仰時の聖歌か、海底の愉快な者達が行う宴の時にしか行われない物だと思っていた。
漁港にいた時に聴こえてきたその音は、自分の知らない音楽だった。
どうしてか、初めて学ぶことが楽しいと感じた時と同じ衝動に、心が震わされた。
漁港での手伝いが終わった後、人魚の少年は海岸の方へ、音の聴こえた方へ急いで向かった。
辿り着いた海岸には木製のギターを片手に、海に向かって一人歌う少年がいた。
少年の奏でる見知らぬ音楽にその人魚は魅入られた。
聖歌や宴の音楽とは違う。
盲目的な祈りでも、陶酔のざわめきとも違う意味の込められた音。
どうしてそんなに心から楽しそうに自由に奏で歌うのか?
自分の知らない感覚、空っぽじゃないナニカ。
そのナニカを知りたくて、その日は門限も忘れて彼の奏でる音を聴いていた。
演奏が1つ終わると、己が奏でる音に魅入られていた人魚に気が付いたのか、その少年は人魚へ声を掛けた。
それを初めに、二人の少年は関わるようになった。
お互いの事、この街の事、音楽の事、学問の事。
暇な日は陽が暮れるまで、いつもの海岸で一緒に話をしたり、歌っているのを聴いたり、少年からはギターを習い、人魚は学問を教えた。
ある日、少年と人魚は約束をした。
大人になったら二人で音楽をしようと。
作曲は少年で、作詞は人魚で。
歌って奏でるのは二人でやろう。
そんな約束。
時効を迎えた今では、この約束は呪いの様に思えるけれど。
それでも、当時は夜空の中で輝く、一番星よりも眩しくて、僕らにとっては大切な約束だった。
ある夏の時期
海が大きな嵐に襲われ、大きく荒れた。
その影響により海沿いにあったこの都市は、大規模な水害に見舞われた。
約一週間、街を襲った高潮は引かなかった。
その一週間の間、都市に設けられた緊急の避難所にて、人魚はあの少年に遭遇する事はなかった。
ただ、少年の無事を祈るばかりだった。
魔法を扱うのが未熟だった頃の人魚にはそれしか出来なかった。
高潮が引き、徐々に都市の復興が進められていく中、人魚は、行方不明になった都市の住民達を探す手伝いをしていた。
なんとか生き延びていた人、手遅れだった人、いろんな人が見つかっていく中、少年は見付からなかった。
当時、唯一見つけられたのは彼のギターと入っていたギターケースのみで。
水害から1ヶ月後に、少し離れた海底にて発見された多くの人々の白骨の中に、彼はいた。
遺骨でもちゃんと見つかって良かったと思う自分と、可能性は0に近しかったけど、大切な友人に生きていてほしかったと願った自分が思考の中で混ざり合っていた。
亡くなった都市の住民達と共に、友人は弔われた。
人魚は彼と亡くなった人々が安らかに眠れます様にと、黙祷を捧げた
友人達を弔った数日後の事
彼の遺品であるギターは、人魚の元に渡ってきた。
どうやら、本来遺品を受け取る友人の家族も向こう側へと逝ってしまっていたのだそう。
受け取った遺品のギターは、ケース共々、とにかく手入れをした。
彼に教わった事を思い出しながら。
そして、ギターとケースは再び綺麗になった。
彼の元にあった頃、そのままの姿に。
しかし、手入れを終えても、人魚がこのギターを弾く事は無かった。
人魚にはこのギターを弾く勇気が出なかった。
弦に触れて、音色を聴いたら、心の奥から何かが溢れてきそうで、人魚はそれが怖かった。
ギターを一度も弾けずに、ただ時間だけが過ぎて行った。
それでも、かつて彼とした約束を、果たされることの無い約束が、無意識の内に、空白のノートにペンを走らせる事が多々あった。
もう彼の歌声はこの世界の何処にも無いのに、それでも歌詞を書いてしまう。
そんな僕は愚かなのだろうか?
実家を離れ、独り暮らしをする事を決めた時、ギターも一緒に引越し先へ連れて行った。
この先もきっと、自分には弾く事が出来ないのに、でもギターを手放す事は出来なかった。
大切な友人の遺品であり、空っぽな自分に夢を教えてくれた、それがこのギターだったから。
一人で暮らす本だらけの部屋、窓際の隅にこつりと、かつての約束と夢の続きが、ギターケースの中で眠っている。